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改良区の歴史

歴史

加東郡北部普通水利組合の発足

明治大正時代より、当地区は主要な水源は小規模なため池に頼ってきました。しかし、そのため池も常に貯水量は不足し、かんがい期の雨も少ない、いわゆる「かんばつ常習地区」でした。

 

先人たちはかんがい用水確保のため、様々な工事計画を考案するものの、どれも巨額の工事費や水利権の問題により実現されずにいました。

 

しかし大正13年(1924)に播州地方を襲った大かんばつを契に、各町村の主脳が集まり兵庫県に対し対策を要請し、県側は現地調査後、三草山ため池案を提出しました。そして、この事業を実施するための地元推進母体として昭和2年(1927)「加東郡北部耕地整理組合」が設立されました。事業名「県営三草山溜池用排水幹線改良事業」とし、昭和3年(1928)より着手され、昭和8年(1933)に昭和池が完成しました。

 

この工事が完了した時点で、「加東郡北部耕地整理組合」は組織を変更行い、昭和13年(1938)「加東郡北部普通水利組合」となりました。

 

兵庫県東播普通水利組合の設立

前述の事業により造成された昭和池によって、昭和池の受益地はかんばつの被害は無くなりましたが、それ以外の地区については依然不安定な水利に悩まされ続けていました。

 

そんな中、近郷きっての豪農であり30数年連続して市場村長の職にあり広く地域の人々から信頼を集めていた加東郡市場村村長の近藤準吉翁もかんばつ対策に日夜奔走していました。

 

ある時、清水寺へ参詣する道中に、たまたま目にした土井渓谷を見て「この場所は天恵の地形、ため池になる。」と考え、この地にダムを建設する計画を模索しはじめました。

 

それ以降、技術者や有識者の意見を聞きながら計画を練り、東条川上流の大川瀬にダムを建設し、鴨川の土井村に補助ダムを設け、2つのダムを導水路で結ぶという構想を固めました。そして、この計画を関係町村に諮り、 昭和13年(1938)に「東播地方資源開発期成同盟」が発足。その後も陳情を重ね、ついに昭和14年(1939)国会において「東播開発に関するダム建議案」が採択されました。

 

しかし折りあたかも日本は太平洋戦争突入前夜であり、一度は国会で採択されたこの一大計画も戦火の悪化に伴い、着手されることなく凍結となってしまいました。

 

再びこの計画が脚光を浴びることとなったのは、戦争終結後の昭和20年(1945)食糧不足が深刻な中、国内での食料自給の増産が叫ばれるようになった頃で、先述の近藤準吉翁の子息である近藤次氏が市場村村長として、父の初志を実現しようと計画実現に奔走し再度国への陳情を重ねた結果、早期着手のために事業計画を縮小し、鴨川の土井村(現 加東市黒谷)にダム建設が計画され、事業実施するための地元推進母体として、昭和23年(1948)「兵庫県東播普通水利組合」が設立され国営事業による鴨川ダム建設が開始されました

 

兵庫県東播土地改良区の誕生

この事業の中で配水の合理化を図るため、昭和池受益地のうち加東郡中西部(現在の加東市社)へは新設される鴨川ダムの水を充当し、それによって生じる昭和池余剰水を新たに加入した加茂地区に水利転換するという案が浮上してきました。また、国営事業採択の受益面積3000haをクリアするには、昭和池水利である「加東郡北部水利組合」と「兵庫県東播普通水利組合」が合併する必要が出てきました。これを受け両組合は昭和25年(1950)に合併の協議に入り諸般の手続きを経て、昭和26年(1951)11月30日に「兵庫県東播土地改良区」が誕生しました。

 

 

 

 

年 号 出 来 事
昭和2年(1927) 昭和池水利のための加東郡北部耕地整理組合設立
昭和3年(1928) 県営三草山溜池用排水幹線改良事業開始 昭和池工事着手
写真:昭和3年 昭和池工事当初の様子
昭和9年(1934) 昭和池完成
写真:昭和9年 完成した昭和池
昭和13年(1938) 近藤準吉翁により鴨川ダム建設のため東播地方資源開発期成同盟が発足する。
昭和14年(1939) 東播地方資源開発期成同盟による陳情にて 東播開発に関するダム建設議案が採択される。
昭和16年(1941) 第二次世界大戦勃発により事業構想が凍結される。
昭和20年(1945) 終戦と同時に食糧難対策として東播開発に関するダム建設議案が再浮上する。
昭和23年(1948) 鴨川ダム建設のため 兵庫県東播普通水利組合が設立承認される。
昭和24年(1949) 鴨川ダム工事着手
写真:昭和24年 鴨川ダムの建設地となった土井集落
写真:鴨川ダム工事の様子
昭和25年(1950) 加東郡北部普通水利組合と兵庫県東播普通水利組合が合併協議に入る。
昭和26年(1951) 兵庫県東播土地改良区が誕生する。
昭和26年(1951) 鴨川ダム 完成
写真:昭和26年 完成した鴨川ダム
昭和28年(1953) 船木池工事着手
昭和33年(1958) 安政池工事地元交渉妥結
昭和34年(1959) 船木池完成
昭和38年(1963) 安政池完成
昭和39年(1964) 国営東条川農業水利事業完成
写真:昭和39年 国営東条川農業水利事業竣工式
写真:国営東条川農業水利事業完成記念碑
昭和58年(1983) 鴨川ダム等の施設を上水に共有持分付与協定
昭和58年(1983) 兵庫県東播土地改良区創立30周年式典開催
写真:昭和58年 兵庫県東播土地改良区30周年式典
昭和60年(1985) 新しい改良区の事務所完成
写真:昭和60年 新しく建て替えられた事務所
昭和62年(1987) 国営造成土地改良施設整備事業着手
平成2年(1990) 加古川水系広域農業水利施設総合管理事業開始
平成6年(1994) 播州地区かってない大旱魃
写真:平成6年 干上がった鴨川ダム
平成8年(1996) 国営造成土地改良施設整備事業完了
写真:平成8年 国営造成土地改良施設整備事業にて改修された鴨川ダム
平成13年(2001) 兵庫県東播土地改良区 創立50周年
写真:平成13年 兵庫県東播土地改良区50周年式典
平成19年(2007) 経営体育成基盤整備事業 上福田地区着手
平成21年(2009) 経営体育成基盤整備事業 万勝寺・脇本地区着手
平成22年(2010) 基幹農業水利施設ストックマネジメント事業 新東条川地区着手
平成26年(2014) 経営体育成基盤整備事業 上福田開拓地区工事完了
平成28年(2016) 経営体育成基盤整備事業 万勝寺脇本地区工事完了